赤い桜

ちょっと久々に小説のリハビリ。小説はこんな感じで不定期に投下していきます。


桜の木の下には死体が埋まっている。

そんな都市伝説を信じ込んでいた時期が私には3度あった。

一度目は私が幼稚園に通っていた時のこと。お酒に酔っぱらった父が私に冗談交じりで「赤い花びらの桜の下には人が埋まってるんだ。美香もいい子にしてなきゃ桜の下に埋められちまうかもなぁ」と言ったのを真に受け、それからしばらくの間は怖がって赤い桜を見る度に大泣きしたものだ。

二度目は最初で最後の彼氏ができた年の4月1日のこと。彼がエイプリルフールの悪戯で私に吐いた嘘がそれだったのだ。自分自身の名誉のために言っておくが、幼稚園の時のように疑いもせずに信じた訳では断じてない。ただ……この彼が頭のいい、というか弁が立つ人で、最初は軽く受け流していたのだけれどもそれっぽい(もちろんそれはでっち上げだったのだが)科学的根拠をつらつらと並べ立てられるうちに、それが事実であるかのように思えてしまったのだ。

ところで、この彼なのだが妙に爺臭い趣味を持っている人だった。なにせ休日にやることと言えば囲碁か将棋か川辺の散歩。オシャレなショップやバーなんかには縁遠くて、もっぱらデートは散歩かおっさんの集まる居酒屋。正直、なんであんなのを好きになってしまったのだろうかと悩んだことも一度ならずあった。まあ、それで彼を嫌いになるなんてことはなかったけれども。なかったけれども、彼に付き合っているうちに自分自身も婆臭い趣味嗜好になってしまったのだけは本当に困った。それのせいで私がどれほど同年代の子にからかわれたのか、彼はきっと知らないだろう。なんだか今更ながら思い出してムカついてきた。あとでちょっと文句を言ってやろう。

庭に出て咲き始めた桜の花を見上げる。思えばこの桜の木も彼の爺臭い一言が始まりだった。「縁側で桜を眺めながらお茶を啜って暮らしたい」って……30代に入ったばかりの男が言うセリフじゃないでしょうに。挙句、いくら両親から譲り受けた家にやたら広い庭があったからといって、実行に移すバイタリティ。それをもう少し若々しい趣味に向けられないものかと何度思ったことか。

「ほんと……そのバイタリティをどうして生きることに向けられなかったんでしょうね。こんな婆臭い趣味の三十路女、誰も拾ってくれやしませんよ」

 桜の木に向かって小さな声で文句を言う。涙は枯れて、少しの空虚感と懐かしい感じがする温かさで心が満ちる。

 この家に桜を植えて、一緒に暮らし始め、『彼』が『あなた』に変わったその翌年のことだった。彼は眠っているかのような穏やかな顔のまま、何の前触れもなく帰らぬ人となった。医者の曰く、急性心停止で死因は不明。それからしばらくのことは覚えていない。ただ、彼が言っていた「縁側で桜を眺めながらお茶を啜って暮らしたい」という言葉だけを胸に行動していたのだと思う。

 台所でお茶を入れて、縁側まで運ぶ。咲き始めの桜を見上げながらそっと目を閉じる。

 桜の木の下には死体が埋まっている。

 うちの庭の赤い桜はもう少しで見頃になるだろう……

悪癖 ~ 浅田さんは楽しくなるとついやっちゃうんだ ~

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